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2017/07/23

ウィッチ/The Witch 感想 ~壊れていく、その恐ろしさを~【映画レビュー】


◆ウィッチ/The Witch 感想◆


評価/オススメ:★★★★☆

◆synopsis◆


1630年、ニューイングランド。
理不尽にも住む街を追い出された父ウィリアムと母キャサリンは、
5人の子供たちと共に森の近くの荒れ地にやって来た。
しかし、赤子のサムが何者かに連れ去られ、行方不明になってしまう。
連れ去ったのは森の魔女か、それとも狼か。
悲しみに沈む家族だったが、あろうことか美しく成長した愛娘トマシンが
魔女ではないかと疑いはじめる。
疑心暗鬼となった家族は、やがて狂気の淵に陥っていく・・・。

※公式HPより

※ネタバレ防止に付き、一部文月加筆訂正


◆comment◆

怖い。
こうも簡単に壊れていく、脆い人間達の絆・・・
すべての望みが絶たれていく中で、少女が選択した「救済」
そして交わされる妖しくも神聖なる「契約」

2017/7/22より公開、昨日鑑賞してきました。
文月が今年鑑賞する劇場公開されたホラー作品はどういう訳か、トーンが似ているのです。

本作も『ジェーン・ドゥの解剖』と方向性は同じトーンでありながら
もっと人の心を深く抉ってくる感じの映画です、はい。
空恐ろしさについては本作が勝ります
そして、なんとなんと、本作と『ジェーン・ドゥの解剖』は製作陣など全く関連なのですが、実は共通した事件/出来事をベースに扱っています。。。
2作観られた方にはお解りと思いますが、面白いですねぇ。

★文月の『ジェーン・ドゥの解剖』レビューはこちら↓↓↓↓
ジェーン・ドゥの解剖 感想~解剖ホラーってドヤ顔で名付けた奴、前に出なさい~【映画レビュー】

本作は一言で言うと、アメリカで「実際に起きたある事件」のその起源を当時の記録や資料などをもとに描いているのですが、ホラーとしての恐ろしさというよりも、
冒頭でも書いたように、

人間の絆というものが、たとえ家族であっても、あんなにも脆く崩れ去っていってしまう恐怖を描いているのです。

目に見える恐怖とは別の恐ろしさを感じます。
この映画の気持ち悪さを表現するのに他の作品の名前を出しますと語弊があるかと思いますが、『冷たい熱帯魚』(2010年)『呪怨』(2000年)にも似た狂気を孕んでいます。
※予告動画のリンク貼ります。
※『呪怨』が最も狂気に満ちているのはオリジナルビデオ版だとワタクシは思いますので、こちらをあえて紹介しました。

単純に怖いと思わせることのできるグロいシーンばかりを並べることなく、かつ、効果的に使っている点はドラマを引き立たせてくれます。

最も得体の知れなくて、おどろおろどしい、人間の闇の話。

それがこの映画で観るべき主題です。

魔女、悪魔というものはどこか別の世界からやって来るものではない。
それはいつもわたしたちの側に知らぬ間に寄り添っていて、弱く脆い人間の心に入り込んでかき回す。誰もが持ち得る狂気こそが、それを生み出してしまう。。。。

もの凄く可憐な天使のようなアニヤ・テイラー=ジョイ演じる主人公ら家族が見舞われる事件は当時としても(あるいは現代も)起こり得るものですが、堰を切ったように続く救いのない出来事の連鎖は、観ている我々をも「狂気」を覚えさせるのに十分です。

敬虔なキリスト教徒であるがゆえに、「狂気」に歯止めをかけられなくなる家族。

※『スプリット』とは印象が全く変わりますね!!!まあ、どちらの作品でも幻想的な容姿をしていますが♫

そして、実はそれをずっと観ていた『ある存在』

それは直接手を下すことなく、純朴な家族をひとりひとりとまた苦しめ、狂わせる。
自らの娘を『魔女』だと決めつけていく。

全ては生娘(純粋な魂)を手に入れるために巡らされたという巧妙な罠だったのです。

家族を繋ぎ止めている『父親』の存在。
ソレにとっては最も邪魔な『父親』は最後まで立ち向かう勇気と信念を持っていました。
それが無残にも倒された時、家族は離散します。

この家族が壊れていく様って、社会のいろいろなものを暗喩している気がして仕方がないのです。

すべてが壊れた後に、耳元に聞こえてくる悪魔の囁き。
それが本作の最大の見所になるのですが、最後の最後まで正体を明かさないところが安っぽくなりかねない作品のリスクを見事に回避しています。

あぁ、そう言えばこいつは家族の側にいた。
オカルトに詳しい方ならピンとくる姿で、そして巧みに家族の側にソレは潜り込んでいたのです。
ずっと狙っていたのです。

そして始まる狂気の宴。

魔女とは、どこからかやって来るものではない。
生み出されるもの、望まれて現れるものだと。

つまりは人間の闇が生み出した存在なのです。

ソレは、耳元で甘い言葉を吐き、背中をそっと押しただけ。

この映画の鑑賞直後からワタクシは昔見た、ある一枚の絵画が頭に浮かんできてしまい、
それが離れません。

The Nymphaeum (1878)
ウィリアム・アドルフ・ブグロー作の絵です。

ギリシャ神話に登場するニンフという精霊を描いた絵画です。
ニンフは時として、森のなかで旅人を魔力で惑わせたり、取り憑いて正気を失わせることもしていたようです。

いわゆる醜い魔女とは象徴として作られたアイコンであり、人を狂わせる(そして悪魔が喜ぶ)には「官能的な美しさ」が必要なのでしょう。

救いを求め、受け入れたもの。
結果を想像しようにも、YESとしか言えないようにあらゆる望みが絶たれる不条理さ。
たとえ相手がどのような存在であれ、弱い人間は「苦しみ、悲しみ」から逃れたい。
つまり現実というもの恐ろしさをわたしたちに突きつけているのでした。

ちなみに、本作の狂気と妖しさを見事に表現しているアニヤ・テイラー=ジョイさん。
本年公開の『スプリット』(M・ナイト・シャラマン監督)で一気に知名度が高くなりましたが、実は本作での演技が評価されて『スプリット』に抜擢されたのです
製作も公開も本作のほうが先。
日本公開が逆なため、誤解される方がいるかもしれないので、補足させてもらいます。


あ。。。いつの間にか、昨年の鑑賞本数到達まであと5本になってる・・・

2017年映画鑑賞 132本目

◆overview◆

・原題:The Witch
2015年公開(日本公開2017/07/22)
・上映時間:93分

・監督:ロバート・エガース  
・脚本:ロバート・エガース

・メイン・キャスト
アニヤ・テイラー=ジョイ
ラルフ・アイネソン
ケイト・ディッキー
ハーベイ・スクリムショウ
エリー・グレインジャー
ルーカス・ドーソン



2017/07/15

パワーレンジャー 感想 ~ワンチャンス、ありますよね?~【映画レビュー】



◆パワーレンジャー 感想◆

評価/オススメ:★★★★☆
(いい話ではあるんです!!!!)

◆synopsis◆


遡ること時は紀元前。
古代の地球で世界の運命を決する、大きな闘いが終焉を迎えていた。
ある5人の戦士たちによって守られた地球。
そこにはやがて新しい命が芽生え、物語は現代に帰ってくる。

小さな町・エンジェル・グローブに、普通に暮らす若者たちがいた。
ジェイソン、キンバリー、ビリー、トリニー、ザック。ありふれた日々を過ごす彼ら5人は、
偶然にも同じ時間・同じ場所で不思議なコインを手にし、超人的なパワーを与えられる。

自分たちの力に困惑する彼らの前に現れたのは、
かつて世界を守っていた5人の戦士=“パワーレンジャー”の一人・ゾードンと、機械生命体・アルファ5。
古代の地球で封印された悪の戦士=リタ・レパルサが蘇り、
再び世界を滅ぼそうとしていること、そして彼ら5人はその脅威に立ち向かうべくコインに選ばれた、
新たな“パワーレンジャー”であることが明かされる。

しかし、自らの運命を受け入れられない彼らは、まだその秘めたる力を解放できずにいた。
地球に残された時間はあとわずか。果たして彼ら普通の高校生に、
この世界を救うことができるのか?
世界が、そして仲間たちが危機にさらされた時、ついに“その力”が目覚める。

※公式HPより

◆comment◆

ずいぶんと気前の良い第一話・・・・
またもや『始まりの物語』・・・・

吹き替えに杉田さんが参加している、ただそれだけの理由で字幕版の後で吹き替え版を観てしまった。(水樹さん、三上さん、沢城さんももちろん)

ご存じの方が大半だと思いますが、日本発のヒーロー戦隊をアメリカで
リメイクしているのが本作の下地となるMighty Morphin Power Rangersです。

ゴジラにしろ本作にしろ、ハリウッドリメイクというのはある種のギャンブル。
(ドラ○ンボールの事言うなよ!!ゼッタイだ!聖闘○星矢のことまだ触れるなよ!!)
俳優さんも、吹替え陣も豪華、宣伝も派手・・・・嫌な予感だ。
と個人的にはハラハラしていたのですが・・・・

もの凄くコテコテの爽やか青春ドラマでした。

とは言え、本作は個人的には非常に困りものです・・・
何が困るかというと、特に真新しい発想のストーリーでも、設定でもないのです。。。
あ、これLIFEの回でも書きましたね・・・

こういう一見派手だけど、実はスタンダードな作品を人にオススメするのって難しいかもと
何も難しく考えず、ストーリー単体とした場合には間違いなく「いい話ねぇ」と思われることは多いでしょうけど、好みが激しく別れそうな気がしないでもない。

本作にド派手なアクションを求めた方には、本当に終盤までオアズケをされるでしょうし、若者の爽やかなラブストーリーとも言えない。それっぽぉい、甘酸っぱさは感じますけど(笑)

まったくもって偶然に、ある日突然超人的な能力を手に入れてしまい、それに戸惑いながらもそういう運命と向き合う・・・ヒーローものそのまんまのお話です。
けっこう無理矢理使命を押し付けられた感を受けましたけどね(汗)

等身大の自分と向き合うという一番多感な時期を迎えている彼らが主人公だからこそ、爽やかさが絵面から失われない仕上がりになっています。

そういう意味で「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」とものの見事にトーンが対照的ですよ!!!

MARVELやDCヒーローとは一線を画しているところは取りも直さず「日本のヒーロー」が元になっているからで、そこが過度にアメリカナイズされていないところは、ワタシ達も安心して観ていられますし、それなりに熱い想いを抱いてしまうのです。

本作では「普通の少年少女たちがヒーローになるまで」のドラマが重厚すぎるくらい重厚に展開していきます。

ドラマパート8:戦闘2ぐらいの配分です。

不思議なことに飽きませんでした。
むしろ、ドラマパートだけ連続ドラマとして放送して欲しい。

あぁ、いいなぁ、、、なんて思ってしまったり(笑)

パワーレンジャーとして平和を守るための戦いは、本当にクライマックスでしか描かれない。
プロセスを大切にした丁寧な物語。

あぁ、なんとかお伝えできる表現を書けたのかも知れないです♫

それでも「あのテーマ曲」が流れた瞬間には興奮しましたよ!!!
オアズケをされていた事も相まっていたんでしょうけど。

オレたちの戦いは今始まったばかりだ!
君も後楽園遊園地で僕と握手(激しく古っ!!)

そんなぶん回し方でお話は纏められています。

これはゼッタイ、もうワンチャンス、ありますよね?
と言いたくなる。

というより、狙っているのでしょう。

王道は結局受け入れられやすいのですね。

結果、なんやかんやでワタクシも不思議な充実感を覚えたままで劇場を後にできました。

そういう訳で吹き替え版も完全に狙ってます!
細かいことを書くと良くないので控えますが、吹替版になった途端に「完全に日本のヒーロー戦隊」になっちゃう。いいですな。

個人的にはワタクシはイエローのベッキー・G嬢(CV:水樹さん)の爽やかなお色気にメッタメタにされてしまいました。
彼女の本業の方の曲買っちゃうんだから!!!!

そういう訳で、謎の高揚感を味わいたい方には是非ご覧いただきたいです。

そうそう。大人も子供も十分楽しめます♫

2017年映画鑑賞 122本目

◆overview◆


・原題:Power Rangers
・2017年公開
・上映時間:124分

・監督:ディーン・イズラライト
・脚本:ジョン・ゲイティンズ

・メイン・キャスト
デイカー・モンゴメリー
ナオミ・スコット
RJ・サイラー
ベッキー・G
ルディ・リン
エリザベス・バンクス
ブライアン・クランストン
ビル・ヘイダー
デビッド・デンマン



2017/06/09

パトリオット・デイ 感想~こうして、事実は物語になっていく~【映画レビュー】

◆パトリオット・デイ 感想◆


評価/オススメ:★★★★☆


◆synopsis◆


2013年4月15日。
誰にとっても『ありふれた1日』になるはずだった・・・・

殺人課の刑事トミーは朝からボストンマラソンの警備に駆り出されていた。
オリンピックの次に歴史の古いこのマラソン大会は、毎年祝日である“愛国者の日”に開催され、117回目を迎えるこの日も50万人の観衆で賑わっていた。

次々と走者がゴールインする最中、トミーの背後で突如大爆発が起こる。歓声は悲鳴に変わり、逃げ惑う人々と折り重なって倒れる負傷者で現場はパニックとなった。

到着したFBIのリックは現場に散乱した金属片を見ると「これはテロだ」と断言。
テロ事件はFBIへと捜査管轄が移ってしまう。
犯人逮捕に燃えるトミー達ボストン警察の警官たちは歯ぎしりをするが、病院を回って負傷者たちへ地道な聞き込みを行う。

やがて監視カメラに映る不審な“黒い帽子の男”と“白い帽子の男”が容疑者として浮上し、事件はアメリカ全土を揺るがす緊迫の事態へと発展していくのだった……。

※公式HPより
※一部文月加筆訂正

◆comment◆


この映画は決して踊る大捜査線ではありません。
もちろん事件と対峙するのは多くの警察の方です。
ただし題材は起承転結はありますがいわゆる「ドラマ」ではありません。
結果としてドラマチックに展開した事件を描いています。

非常にデリケートな事件を扱った本作。
アメリカという国はメモリアルをものすごく大切にする。

そのあたり日本とは違うのかなぁと感じます。
もちろん日本人だってそういうものを大切にするけども、違っているのは手法です。
日本では伝統的に事件や事故なんかをタブー視する傾向があり、
アメリカはその逆で明らかにしたり、キャッチコピーなんかをつけてシンボルにしてしまうことでイベントの温度を高めているように感じます。

監督はハンコック(2008年)とバトルシップ(2012年)は個人的には好きだよピーター・バーグ。
ローン・サバイバー(2013年)はSEALsがひたすら崖から落下して痛かったという印象が先行でしたが。

主演はバーニング・オーシャンにつづいて、わたしにとってはおそらくずっと”ボブ・リー・スワガー”マーク・ウォールバーグ。タフガイかと思いきやテッドでガラリとおちゃめキャラを演じたり、プロデューサーとしても幅広く活躍してます。
脇を固めるご存知ケビン・ベーコン、クローバーフィールド10のでっかいおっさんジョン・グッドマン。
おそらく本作いちばんのタフな男はJ・K・シモンズ。見ての通り、男、男、男。
そんな中、存在感たっぷりのカンディ・アレキサンダー(CSI:マイアミをご覧の方にはおなじみです)も結構イカしてました。

話を戻します・・・
実はワタクシの自宅の近所にものすごく紳士なアメリカの方が住んでいて、
ワタクシのものすごく適当な英語でも陽気に受け入れてくれる方なのですが、
ある日激しい夕立が鳴った夕方にその方に「Enjoy storm!」と声をかけられました。
また、飼っていらっしゃる子猫が不慮の事故で亡くなった際にも、お悔やみを言うと
「彼はいい人生だった」と片言の日本語で答えてくれました。

ワタクシはこのパトリオット・デイを鑑賞した際に(他にもノンフィクションの映画を観た際に)、凄惨なイベントであっても、何かを必ず見出そうとする彼らの「強さ」に素直に脱帽してしまうのです。

前述の方の言葉も同じでした。

もちろん全てが全て同じだとは言えないのだけど、そういうある種プラスに転じていく
「陽気さ」がアメリカという国を、そこに住む人を「ドラマチックに」してしまうのだろうと思います。

この作品はある記事で「踊る大捜査線」と日本人がイメージしやすいコピーで飾られていたのでお断りしますが、
派手で真っ赤に塗りたくったようなBGMも熱血青島刑事も可憐なすみれさんも出てきません。
極力淡々と何が起こったのか?を描いています。
この監督とマーク主演の「バーニング・オーシャン」と基本は同じテイストです。
ドキュメンタリー寄りのノンフィクションベースのフィクションという微妙な映画になるのかなぁ。
というのも、ノンフィクションとはいえ映画という枠に収めるためには事実の再構成も、情報の取捨選択も必須だからです。
つまりは「解釈」の問題になるわけです。
(「バーニング・オーシャン」については、google+でも感想を書かれています
[Satomi “さとちゃ” B]様 http://eiga.com/movie/84435/review/01551064/ の記事も紹介いたしますが、まったく同感です)

そういうわけで「描かれた事実が真実であるのか?」「どこまでを汲み取っているのか?」は考えないといけないところです。

結局のところこの事件の真相は映画では描かれません。というより、描けないだろうと。
この作品は社会に問題提起をしている訳でも、事件を考察している訳でも、悲劇を演出している訳でもないと思います。
ではこの映画ってなんで作ったの?
バーニング・オーシャン同様に(あれよりは偉そうでもないけど)、わたしたちの「何気ない普通の生活」って、実はものすごく危ない薄氷の上に立っていることを「淡々と示して」いるのだと考えます。
無言のメッセージとして。
そういう意味で突然会場が爆発する、例のシーンは「本当に怖い」ですな。

なにも悲観的に考えているわけではないのだけれど、普通の生活が壊れる時、いつだって犠牲になるのは「わたしたち一般人」であって、それを解決するのも「わたしたち一般人」なのです。
この事件で活躍するボストン警察の人たちも家族がいて、恋人がいて、笑い合える仲間がいる「一般人」なのです。
今までヒーローを演じてきたマーク・ウォールバーグも(複数の人のエピソードを繋げているけど)「普通の街の警官」なのです。
不幸にも犠牲になった方も、犯人側へと迫るきっかけを作ったのも、犯人側と戦ったのもヒーローではなく「わたしたちと同じ普通の人達」なのでした。

最初にもどりますが、そういう訳で、この映画は決して踊る大捜査線の様なエンタテインメントではありません。
明確な答えがない映画。だからちょっと難解かも。
だって、わたしたちの生活は「ドラマ」ではなく「現実」なのですから。


2017年映画鑑賞 93本目

◆overview◆


・原題:Patriots Day 2017年公開
・上映時間:133分
・監督:ピーター・バーグ   
代表作:『バーニング・オーシャン』(2017年)
・脚本:ピーター・バーグ
          マット・クック
          ジョシュ・ゼッツマー

<メイン・キャスト>
マーク・ウォールバーグ
ケビン・ベーコン
ジョン・グッドマン
J・K・シモンズ
ミシェル・モナハン
アレックス・ウルフ
セモ・メリキッゼ
ジェイク・ピッキング




2017/06/01

LOGAN/ローガン 感想~ああ、気になさらないでください。多少時間が たったパンでも湯気をあてると、けっこうおいしく食べれるものです。~【映画レビュー】

[映画感想]

◆LOGAN/ローガン 感想◆


評価/オススメ:★★★★★

◆synopsis◆


ミュータントの大半が死滅した2029年。
長年の激闘で疲弊してしまい、生きる目的も失ったローガンはアメリカとメキシコの国境付近で雇われリムジン運転手としてひっそりと働いていた。
X-menであったことを隠し、自分とも向き合うことを拒むローガン。

しかし期せずして起こしてしまった事件により、ある組織に存在を知られてしまう。

そしてローガンの前にガブリエラと名乗る女性が現れる。
彼女はローラという謎めいた少女をノースダコタまで連れて行ってほしいと頼んできた。
組織に追われているローラを図らずも保護することになったローガンは、チャールズを伴い3人で逃避行を繰り広げることになるのだった・・・

◆summary◆

本日2017/6/1公開です。
さすがに注目されていただけあって、公開前だというのに
結構な情報量で作品についての言及があった本作。
(お幸せな試写会組の方などもいらっしゃいますから)

ワタクシとしては未鑑賞の映画については可能な限り公式サイトや特集記事やスタッフなどのインタビュー記事だけを見て作品に臨むのが好きなので、毎度いろいろな方のレビューを見たい衝動を必死に抑えています。

本作については劇場に運ぶ直前に見た出演者のインタビュー記事が『LOGAN/ローガン』を理解するのにドンピシャにハマったのと、ワタクシが個人的に刷り込まれている
ある宿命的な(笑)ものの見方(偏見、偏愛)が鑑賞直後から頭を巡っております。

これからようやくいろいろな方のレビューを見させてもらいます。
おそらく読ませていただくほどに、ワタクシの宿命的(笑)な理解の偏りを感じることだと思います(後述)

本作を理解するのにワタクシはこの作品を参考に致しました。

クリント・イーストウッド監督主演『許されざる者』(1992年)です。

ヒュー・ジャックマンの本作のビジュアルが恐ろしいくらい『許されざる者』のクリント・イーストウッドとダブりました。

解説にネタバレに繋がるものがありますが、もうウィキペディアにすらストーリーの核心が書かれている状況で・・・・(2017/6/1現在)

ですのでワタクシとしては、詳細には触れない形で作品を通して見えてきたものを書かせてもらおうと思います。

◆comment◆


え?X-MENがロードムービー?
と、簡単に思ったワタクシは
このお話をキチンと解っていなかったのです。

すごくいいんですよ!!
繰り返します!!
すごくいいんですよ!!!
素敵な映画なんです!!!!
でも・・・・
さぁて困ったぞ・・・・というのが、劇場から外へ出たときの印象でした。
うんうん悩んでしまったんですよ、実は。
ストーリの奥に一体何があるのか??と。

前述しましたが『許されざる者』からヒントを得て、ワタクシなりにこのお話を消化できたのではないかと考えます。

『許されざる者』については、こちらの記事に掲載されていたヒュー・ジャックマンのコメントのお陰でたどり着くことができました。
http://screenrant.com/if-x-men-were-in-mcu-hugh-jackman-would-keep-playing-wolverine/(英文)
https://oriver.style/cinema/wolverine-professor-x-come-back/
(↑↑ORIVERcinemaより:記事を書かれたTakatoshi Inagaki様、本当にありがとうございました。)
※映画に出てきたのは違う話やんけと既に本編をご覧になってからこちらに来て頂いた方、すみません。
そちらについてはあとで書きますから。

長いので珍しく区切ります。

本作のあらすじなどは公式サイトや他の方のレビューに譲ります。

①はじめに

まずひとつ、映画をまだご覧になっていない方にご案内です。
これまでの「X-MEN」のノリで観てしまうとガッカリされますよ、きっと。
それにスーパーヒーロー万歳の「アベンジャーズ」とも、個人的には最高の「デッドプール」なんかとも同じ感覚ではこの作品は観られません。
DC作品になりますが「ダークナイト」とも「バットマンVSスーパーマン」ですら、この際違うと言ってしまいます。

ダークという形容詞では本作は捉えられません。

LOGAN/ローガン』は『かつてヒーローだった』ひとりの男による血生臭く、無骨で、不器用な生き様を描いた作品です。
そしてヒーローですら所詮は虚構に過ぎないと『本作』のウルヴァリンの姿を通して痛烈に表現しています。
それでも、それでも、紡がれるもの、受け継がれていくものを護ろうとする
『ひとつの時代の生き残りたち』の葛藤と決別がテーマです。

②『LOGAN/ローガン』を堪能するために

ヒュー・ジャックマンがインタビューで答えた『許されざる者』への言及。
お陰でなるほどと腑に落ちました。

『許されざる者』MovieWalker様の記事。
http://movie.walkerplus.com/mv10321/
ちなみに予告編(英語版です)


LOGAN/ローガン』の根源的な部分は、確かに『許されざる者』を通して紐解いていけそうです。

<『許されざる者』ストーリー>
 
 主人公のビルはかつて冷酷な無法者でした。しかし最後に人殺しをしたのは11年前であり、現在は幼い子どもと貧しい生活をしています。

 体力もないし、勘も衰えている、今では馬にも満足に乗れない(この辺は劇中何度も転ぶシーンが象徴しています)、そして全盛期には何の苦もなく扱えたであろう射撃の腕もかなり鈍くなっている(庭での射撃シーンはある意味胸が苦しくなります)

 「名を馳せた無法者」の力を借りようと、賞金首を追うためビルを誘いに来た若い甥っ子であるキッドから、過去について言及された際に感じる苦い思い。
 この辺、劇中にローガンが『ウルヴァリン』の過去について触れられたりコミックにされている自分の虚構を苦々しく感じているところと共通しています。

 それでもビルは「子供の将来のためお金が必要なため」モーガン・フリーマン演じるかつての相棒ネッド・ローガン(奇しくもローガン!!)とともに、娼婦をナイフで傷つけたふたりの賞金首を追うことにします。
 ビルとしてみれば、今の自分を知っているかつての相棒と組むことで、自分の弱点をカバーしたかったのでしょう。
 ただし相棒のネッド・ローガンも、今でも腕には自信があると言っていたものの、いざ賞金首を奇襲した際には抵抗を止めた人間にトドメをさすことを躊躇い、震えてしまいました。

 ビルもネッドも殺した相手に魘されるなど自分の無法者としての血、つまり過去によって深く傷ついているのでした。ただし後悔をしているというより、どうしようもないものだと受け入れて戦っているのです。
 その苦しむ様はものすごく哀しくし、愁しい。

 最初の賞金首を仕留めたのは粋がって殺しを自慢していた(5人殺したと言っていた)甥っ子ではなく、ビルでした。
 居た堪れなくなったネッドは途中でパーティを抜けることにします。
 しかし運悪く捕らわれてしまうネッド。
 彼はジーン・ハックマン演じる(ものすごく好演)保安官らによって激しい拷問を受けてしまいます。

 その間にビルと甥っ子は二人目の賞金首を殺害し、逃走することに成功します。
 じつは甥っ子にとってそれは『初めての殺人』でした。

 期せずしてネッドは同じ日に保安官達に撲殺され、遺体は無残にも酒場の入り口に晒されてしまいます。

 ビルが今の苦しみを内包したまま過去の血を取り戻し、単身保安官達と対峙するきっかけは「許されざる時」を共有した相棒の無残な死だったのです。
 
  保安官が手下とともに残りのふたりを追い詰めると息巻きながら酒を飲んでいるバーにたったひとりで現れたビル。
  静かだが屈強な男どもが凍りつく程の怒り。
 
 そこには時に抗うことを諦めてしまった老人の姿はありませんでした。
 恐れられた冷酷な無法者。容赦など持ち合わせていない「殺し合い」が当たり前に行われていた時代の自分。
 
 そのビルが臨む最後の、そして圧倒的な戦い。
 
 全てが終わった時、ビルの後ろ姿には『己は結局無法者であること』へのどうしようもない哀しみが溢れていたのです。

 保安官のいわば傍若無人な姿は「自分の過去」にも通じていたのでしょう。
 ビルが初めて彼らと出会った際一方的に殴られるのですが、それはビルが「自分の過去」によって傷を抉られていることを意味していることに他なりません。

『許されざる者』とは、かつての冷酷な自分たち(ビルとネッド)であり、粋がって「殺し」を背負ってしまった甥っ子であり、秩序を守ると言いながら街を支配する保安官であり、彼に従ってネッドを殺したり、無法をしていた手下、仲間であり、逆説的に賞金稼ぎに殺しを依頼した娼婦たちであり、黙って見ているしかない民衆であったり、つまりはその時代のモラルでした。(=制作当時のアメリカも暗喩しているのでしょう)


・・・さて、

③オールドマンローガンと『許されざる者』のビル

・ビルはかつては名を馳せた無法者だったが、妻のお陰で改心し今では子供のために生きようとしている(病気で亡くした妻の面影を追う)

・ローガンはミュータント最強の名で知られていたが、現在は老いの影響があり往時の能力が失われつつある。期せずして、自分の遺伝情報を持った”少女”と邂逅してしまう。

 ビルは必要に迫られて賞金首を追うことになりますが、ローガンは状況が飲み込めないままで、なし崩し的に脅威からの逃亡を図ります。
 ローガンが望んでいたのは戦いではなく「世間から離れて静かに安全に暮らせる場所」でしょう。
 ミュータントとしてではなく、X-MENとしてでもなく、ましてや『ウルヴァリン』でもなく、ひとりの「ローガン」として。
静かに普通の市民として暮らしたかったのは『許されざる者』のビルも同じでした。

 しかし、特異な存在であるからこそ世界はそうした者を放っておくことはしないものです。ローガンは『ウルヴァリン』としての自分と否が応でも向き合うことになります。
 それが”少女”である(ここではまだ”娘”ではない)ローズとの出会いであり、自身の過去の象徴として現れた『X-24』でした。(X-24が何であるかはここでは書きません)

 ある意味で親であり、敵であり、友人であったプロフェッサーXはローガンからしてみれば「自身によって」害されてしまったようなものです。

※このあたり、ローズを守ること、プロフェッサーXを守ること、『X-24』を含めて『ウルヴァリン』に追いすがる敵を倒すことはどこまでも「自分の宿命」とローガンを対峙させる構図になっていて、『許されざる者』のビルが過去の亡霊に苦しむ様と重なります。


④『許されざる者』が象徴するもの

『許されざる者』の舞台は1881年です。あの有名なOK牧場の決闘があった年。
ワイルドウェストと呼ばれた西部開拓時代の終焉にあたる年代です。

というのも1890年に入るとアメリカはフロンティアの消滅が唱えられ、またインディアン戦争は集結し、進歩主義時代の幕開けであり、ここから先は帝国主義~世界大戦の時代へと加速していきます。

アウトロー、カウボーイがもはや『記録上のもの』や『伝説』となってしまう寸前です。

本当に冷酷な無法者だったビルの重さと、ファッションとして無法者を演じていた甥のキッド。
『許されざる者』が描くもうひとつの重要な描写はこのふたりの対照的なスタンスです。

 甥っ子のキッドは、賞金を受け取った後で人殺しはもうたくさんだとカウボーイのアイデンティティであるリボルバー(武器)をためらいなくビルに向かって放るんです。
(ビルはこの後で保安官たちと対決するので、銃をよこせと迫ったんですが)
 
 武器を捨てるとは、取りも直さず無法者ではなくいわゆる「一般市民」になるということであり、次の時代にすんなり溶け込んでいくということです。
 誰かの生命を奪うという『殺し』の意味をある種中途半端に捉えていたが故に、実際に人を殺めておきながら目を背け、新たな時代に逃げ込んでしまう。
 彼らにとって武器は簡単に捨てられるものだったという悲しい事実
 というのも、彼ら若者が時を刻んでいく新時代はアメリカという国家がきちんと市民を護ってくれるように機能するからだ。

 自分で自分を護らなくても良くなるから、わざわざ腰からホルスターを下げる必要もないということ。

 皮肉なことに武器を手放した彼らの子供の世代が世界大戦を経験するのだけど。。。。

 一方で『許されざる者』の世代であるビルは、己の筋を通す手段として武器を捨てることはできなかったわけです。
 老いてもなお銃を手に戦うビルの姿が『西部開拓時代』に生きた漢そのものを象徴していたということですね。

 甥のキッドはビルの最後の戦いには同行しません。
 彼は賞金を受取ると、特に惜しむことなくビルと別れるのです。
 旧世代と新世代の呆気ないほどの決別。。。。
 これは監督であるクリント・イーストウッドからの痛烈なメッセージではないでしょうか?


⑤結局のところ『LOGAN/ローガン』とは?
 
ただ、『許されざる者』よりも壮絶なのは『LOGAN/ローガン』なのです。

 「ローガン」ではなく『ウルヴァリン』の遺伝子を受け継いでしまったのがローズ。
残念なことに彼女は『ウルヴァリン』のアイデンティティであるアダマンチウムの爪を捨てることはできないのです。
 それは取りも直さずミュータント最強である『ウルヴァリン』の遺伝子と強力な武器とともに『ミュータントとしての宿命』を背負ったまま新しい時代を生きていくことに他なりません。
 ここが『許されざる者』との最大の相違点ではないでしょうか? 
 
 ワタクシは本作の根源的な部分にはそういうものが流れていると考えました。

 ローガンもプロフェッサーXも『許されざる者』の最後の生き残りとして、辛い宿命を背負うことは目に見えている次世代の子供たちを敢えて護ろうとしたということになるのです。

 銃撃戦に最期までアダマンチウムの爪で立ち向かった『ウルヴァリン』
 どれほど不利だと解っていても、どれほど傷だらけになっても、どれほど無様であっても子供たちに迫る追跡者達の前に立ちはだかるローガンは、老いた『許されざる者』が全生命を賭して挑んだ過去と未来、双方への決別の姿です。
(まったく世界が違うのですが、長坂の戦いの張飛ですなΣ(´∀`;))
    悲しいことに、この時になりようやく「ローガン」は『ウルヴァリン』である自分を取り戻し、そして『父親』であることを受け入れたのです。

 次世代の子供たち、繰り返しますがとりわけローズについては生涯『ウルヴァリンの遺伝子情報を持つ生命体』としての呪縛は解けないことは確実なのに父は子を護ったのです。

 ミュータントの遺伝子、X-MENというイコン達のMEME、SENSEは受け継がれる。

どのようなものでも抗えないもの、老いと死
どのようなものでも抗えない関係、親と子(遺伝子)
どのような形であれ残っていくもの、GENE、MEME、SENSE

ここまで書いてしまうとバレますね。
冒頭で述べた宿命的な理解の偏りとはご存知『メタルギアソリッド』でしたΣ(´∀`;)

小島監督が打ち出した普遍的なテーマと、時代が移り変わるという寂しさと希望。
LOGAN/ローガン』にはそれがある。

『メタルギアソリッド』については小島秀夫監督好きのワタクシにはもはや刷り込まれているようなものですから(汗)これはこれで問題(笑)なんだけど。
『許されざる者』というヒントがなければ、メタルギアメインの記事になっていました。
この場合にはMGS4を引き合いに出しましたね。

だって、黙っていたけどオールドマンローガンって名前がどうしたってオールドスネークに聞こえるんだもの!!!(もちろんこちらのビジュアルもね)


●番外:劇中で用いられた『シェーン』
 もう数多く方が紹介されていますが、劇中に『シェーン』(1953年)が印象的に用いられています。台詞も引用されています。

 有名過ぎるこの映画も、一度銃を手に取るともう逃れられないというメッセージが背景にあって、それは言わずもがな『血の宿命』を暗喩しているのでしょう。

 また『シェーン』が製作された時代を象徴しているのはアメリカの光と影(戦後景気による経済の活性化、ハリウッドの黄金時代と冷戦初期の重大局面である朝鮮戦争というアンバランスさ)だと見ました。
 あえて本作に『シェーン』を用いているのであれば、そういう背景もあるのでは?
 つまり現代のアメリカへの暗喩です。と、まぁ穿った見方をしちゃいました。


で、結局オススメするの?
もちろんYESです。


2017年映画鑑賞 93本目

◆overview◆


・原題:Logan 2017年公開
・上映時間:137分
・監督:ジェームズ・マンゴールド
代表作:「コップランド」(1998年)、近年だと『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013年)
・脚本:マイケル・グリーン『エイリアン・コヴェナント』『ブレードランナー2049』
    スコット・フランク『マイノリティ・リポート』(2002年)

<メイン・キャスト>
ヒュー・ジャックマン
パトリック・スチュワート
ダフネ・キーン
スティーブン・マーチャント
ボイド・ホルブルック
リチャード・E・グラント



2017/05/22

皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ  感想~とあるオッサンの、小さな恋とか大きな覚醒(胸熱)とか~【映画レビュー】

[映画感想]

◆皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ 感想◆


評価/オススメ:★★★★★

◆synopsis◆


テロの脅威に晒される現代のローマ郊外。
裏街道を歩く孤独なチンピラ エンツォはふとしたきっかけで超人的なパワーを得てしまう。
始めは私利私欲のためにその力を使っていたエンツォだったが、世話になっていた“オヤジ”を闇取引の最中に殺され、遺された娘アレッシアの面倒を見る羽目になったことから彼女を守るために正義に目覚めていくことになる。

アレッシアはアニメ「鋼鉄ジーグ」のDVDを片時も離さない熱狂的なファン。

怪力を得たエンツォを、アニメの主人公 司馬宙(シバヒロシ)と同一視して慕う。そんな二人の前に悪の組織のリーダー ジンガロが立ち塞がる…。

※公式HPより

◆comment◆


キャプテン・アメリカを観たときに、ワタクシが本当に個人的に感じていることですが、
ちょっと気恥ずかしさを覚えたのです。キャップ好きなんですけどね。

そしてアベンジャーズシリーズをあたかもメルヘン遊園地のように感じてしまうのは、
きっと自分が汚れているからだろう(笑)

キャップが達が貫く純粋な「何か」・・・それが引っかかるのだろうと。

逆にデットプールを観たときに、グイグイっと引き込まれた興奮。
ホントに皮肉屋で(アイアンマンとは違って生粋の)、ハチャメチャで、自信過剰で、好き勝手やっている「俺ちゃん」が、ものすごく自由で素敵だと


そのときによぉーく考えれば良かったんですが(汗

あぁ「俺ちゃん」って僕達が抱えてる、我慢してる、押し殺してる『枠』をぶっ壊してくれているから好きなんだし、身近に感じちゃうんだなぁと考えました。


ヒーローだって楽じゃない。彼らも彼らでいろいろとトラウマだったり、トラブルだったりを抱えていて、辛いんだろうなァと思えるけど、彼らはヒーローであることを既に受け入れているし、そんな自分の使命を明白なものとして抱いている。だから、悩みなんての乗り越えてみせるんだ!(キリッ)
心強い仲間もいるし、サポートしてくれるしっかりとした組織もあるし、ヒーローとしての社会的地位も(笑)あるのだし。。。。


じゃぁ、そうじゃないのにある日突然超人になったやつはどうするの?


MARVELヒーローよりも、DCのジャスティス・リーグのヒーローよりも、
そして何より原作よりも泥臭く、そしてどうしようもない「おっさん」による、いぶし銀の物語が始まります。


戸惑いました。はい。

全然華やかじゃないんだもの。。。

だけど、そりゃぁそうだよね。と、途中で気が付きました。

この物語は「beginning」なのだから。


5/20の公開で、ジェーン・ドゥの解剖を観た翌日に鑑賞。
しかし、感想をまとめるのに時間がかかってしまいました。

それが冒頭の戸惑い。飲み込むのにワタクシの感覚では時間が必要だったようで。
疲れてたのかしら(笑)

そして未だに完全に飲み込めていないです。

時間が経つにつれて、この作品が鑑賞した直後より好きになってきました。
骨太だなぁ。どうしてもっと早く日本公開されなかったのかしらぁと。
イタリアでは2015年公開です。

スクリーンにドーン!!と表示される日本語タイトルはオリジナルです。自動翻訳されたみたいだけど国内向けに付け足したものではございません。

ワタクシも日本人なので「おぉ」と、感じるものがありますなぁ。
洋画ばかり観ているくせにΣ(´∀`;)


原作というか、インスパイヤーされているのはご存知、永井豪原作の「鋼鉄ジーグ」

不覚にもイタリアで永井豪作品がある世代にものすごく愛されているということを、この作品を通して改めて勉強になりました。(もはやミームになっとる・・・)

今でこそ世界中で様々な日本のアニメが観られていますが、1970〜80年代に作られた無骨な「スーパーロボット」物がある種バイブルの様な位置にあるのは日本だけではないのですなぁ。

原作の「鋼鉄ジーグ」。
第一話がyoutubeの公式チャンネルで観られるのです。
実はこの映画、この第一話を観たあとに鑑賞すると、どれだけ監督がこの作品が好きだったのかが解ったり、解らなかったり。

だから全編通して感じられるのはMARVELでもDCでもなく、永井イズム、ジャパニズムでした。。。
めちゃくちゃ硬派で、いぶし銀。男臭くて、ぶっきらぼう(観客にも)。

むしろダンダダダダン、ダダンダン♪です。

なんの説明もなく、いきなり超人的な力を手に入れてしまった主人公。
・・・いったいどういう能力なのか、どうして手に入れてしまったのかなんて一切説明もなく、もちろん本人の同意もない不条理さ。
(鋼鉄ジーグの主人公も気がつけばサイボーグになっていて、体内に物語のキーアイテムを埋め込まれているという設定です)

この主人公、渋いけど、ただの悪いおっさんです。

ただし、根っからのワルということでもなく「なし崩しにワルになるしかなかったどこにでもいそうな中年男」です。

物語の大部分の舞台になるのは、実在するトル・ベッラ・モナカという地区。
ローマ郊外に位置するこの地区はイタリアの中でも屈指の「危ない地区」なんだそうです。

そりゃ、運河に放射性物質垂れ流してるわ!!!って、オイ。

という言葉は飲み込んで(;・∀・)

このあたりの設定がめちゃくちゃだとかを責めてはいけないのです。

だって、永井さんの作品の根底にあると個人的に思っている「カフカ的不条理」からすると、舞台設定とは既に定まっているものであるので、よく考えていたら物語に入っていけないからです。

そういう意味では冒頭から永井イズムを素直に感じることが、この監督が描きたい世界をより身近に捉えることができるのではないでしょうか。


とは言え、世界の危機に直面するだとか、とんでもない強敵に正義の闘志を燃やすだとかいうヒーロー映画の王道展開はありません。


この作品は、この記事のサブタイトルでもあります
「とあるオッサンの、小さな恋とか大きな覚醒(胸熱)とか」の物語なのです


鑑賞した直後、ちょっと物足りない、と思ってしまったワタクシの第一印象は「これは序章なのだ、プロローグなのだ」というところで落ち着いたのです。

とは言え、アメリカンヒーロー作品の持つ既定路線としての派手さや明るさをあえて持ち込まずに、主人公もヒロインもライバルにも等しく漂うどうしようもない「悲壮さ」はこの時代の混迷の象徴のように感じられます。

つまりこの作品の登場人物達のうち、どのような立場にも我々はなりうるということです。ファンタジーではなくて、もう少し身近な物語。最近こういう感覚多いなぁ。

だからこの作品を観たことがない人に、これってさぁものすごく不器用な「バットマン・ビギンズ」みたいだよと表現しても、捉えどころとしては不十分だろうなと。
だって、ブルース・ウェインは雲の上の人だもんな。

全くもって関連性がないのかもしれませんが、「ロッキー」の第一作目を観ている感じですかな。「ロッキー」が好きな方は、好意的に観てくれるかも。

超人的な力を手に入れてしまったとは言え、決して万能ではないオッサン。

それを憧れのヒーロー「鋼鉄ジーグ」だと信じてやまないヒロイン。

この作品の主人公は皮肉なことに「鋼鉄ジーク」ではないのです。

「鋼鉄ジーグ」に、ヒーローに、そんなものになれるわけではないと思い悩むひとりの等身大の男なのです。

自分自身を持て余してしまっているから、与えられた能力を自分のために使ってしまう。

だけど、それは誰もが同じなのではないでしょうか?

その結果、後悔しちゃうことって多いのではないでしょうか?

躊躇や戸惑いがあるから、時に小さくない失敗をして傷ついてしまう。

主人公エンツォの振る舞いって、「なんだこいつ?」と思えるんだけど、男なら誰でもやってしまいそうな事をしているんですよねぇ。

彼の日常生活なんて、いい歳をした独り身の男の最小公倍数的なものですわ(笑)


この物語のシュールさは、主人公が得た力によって巻き込まれる事態もさることながら、
「よく知らない他人の思惑」ってやつが多分に人の人生には影響するんだという恐ろしさも表現しているところにもあります。

この意味では感性や芸術性を重んじる立派なイタリア映画だと言えます。

ラストテロップが流れた時に感じた胸熱。

オッサンがオッサンでなくなったその姿に、知らないうちに拳を振り上げたい衝動にかられたはワタクシだけではないと思います。

「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」

このタイトルって、ラストから逆算して付けたんだろうな。

この泥臭さから始まる新たなダーク・ヒーローの戦い。
考えただけで、年甲斐もなくワクワクしちゃう。


だけど・・・・

ジーグクラッシャーとか言ってるけど、それってただの鯖折りだろーが!!!
でも素敵!! (第一話を観た文月の感想。ただし、この作品の印象的なシーンでこのツッコミは活きてきます(笑))


2017年映画鑑賞 85本目


◆overview◆


・原題:Lo chiamavano Jeeg Robot 2015年公開
・上映時間:119分
・監督:ガブリエーレ・マイネッティ
代表作:「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」※長編デビューは今作!
・脚本:二コラ・グアッリャノーネ

異様に熱い公式HP
http://www.zaziefilms.com/jeegmovie/

小島秀夫監督もコメントされていました♫(ドツボだよなぁ、きっと)

<メイン・キャスト>
クラウディオ・サンタマリア『007 カジノ・ロワイヤル』(06年)
イレニア・パストレッリ
ルカ・マリネッリ
ステファノ・アンブロジ
マウリツィオ・テゼイ


2017/05/14

メッセージ/Arrival 感想 ~世界は『言葉』でつくられている~【映画レビュー】

[映画感想]

◆メッセージ/Arrival 感想◆


評価/オススメ:★★★★☆


◆synopsis◆


突如地上に降り立った、巨大な球体型宇宙船。
謎の知的生命体と意志の疎通をはかるために軍に雇われた言語学者のルイーズは、
“彼ら”が人類に<何>を伝えようとしているのかを探っていく。
その謎を知ったルイーズを待ち受ける、美しくそして残酷な切なさを秘めた人類へのラストメッセージとは―。

◆comment◆


解った、だとか、解らないだとか大きく評価が割れる作品がある。
キャストもVFXもカメラワークも飛び越えて、物語の世界に「浸った」側が
得られるある種の充足感が「観てよかったぁ」って気持ちを引き出す呼び水になる。
その充足感得やすい作品と難しい作品がこの世界には存在する。

もちろん創り手側としては、そうした充足感をより多くの人に得て欲しいと常日頃考えている。それが仕事だし、それが対価の原資になるからだ。

ただ、それは商業としての物語のあり方を考えた場合。
面白い話。ワクワクさせる設定。紡がれる『言葉』の根底には「どうやって楽しんで(あるいは怖がって/考えて)もらえるか?」という「意図」があります。
だから「意図」をより多くの人に伝えるための、受け入れられるための『言葉』には明快さが不可欠だ。

ただし、明快だから受け入れられる、良い、と言う訳でもない。

『言葉』を用いる『意思疎通』の最大の難しさとは『解釈』という送り手/受け手双方のフィルターが内在するからだ。

『解釈』 この作品の重要なワードです。

ドゥニ・ヴィルヌーヴという監督はこういうことを狙って物語を作れる稀有な人物だ。

「複製された男」なんて人を選ぶし、難解で中二病的だし、根暗なトンデモ映画だ。
「プリズナーズ」、「複製された男」、「ボーダーライン」どの作品もワタクシは大好きだけど、描かれているのは「こちら側と向こう側」という線引が如何に曖昧で、移ろい易いものなのかだと思う。

つまり、描いているのは『人間』だということだ。

『言葉』つまり『言語』というものが一種類しかない世界だとしたら、物語が掴まえることができるものはひどく狭くて味気ないものだと思う。

故に面白いと思う方も、その逆の方も多い作品になると思います。
(「グレート・ウォール」や「無限の○人」などとは別の意味で)
これは制作側の意図(もっと言うと原作者の)であって、『解釈』が分かれるほど『狙い通り』になったということですよ。はい。

言葉繋がりで、ひとつだけ個人的に変えてほしいのはこの作品の邦題。
『メッセージ』で本当に良かったのかなぁと。。。

原題のArrivalじゃないと、誤解を与えると思う。
予告編の作りも、公式HPも『メッセージ』に主題を置かれているけど、
この映画の本質は『言葉』であり『時間』であり、このふたつがひとりひとりに
舞い降りた時に用いられる『LIFE』だ。

話を戻します・・・
実はちょっと前に試写会に幸運にも行けて、そこで観ておりました。
今週5/19(土)からようやく公開ということで、劇場に行かれる方もいるかと思い更新です。

この作品は『インデペンデンス・デイ』(1996年)や『インターステラー』(2014年)に並んでコメントされているのを散見しました。
文月としては、真っ先に思い浮かんだアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』やロバート・ゼメキスの『コンタクト』(1997年)寄りの物語だと考えます。

ファーストコンタクトというカタチを取った『意思疎通』の再定義を狙った思考実験。

これがこの映画です。

だから『インデペンデンス・デイ』みたいなド派手なアクションも熱い人間ドラマも、

『インターステラー』のような地球の危機や壮大な宇宙探索も、ありません。

そういうものを期待されてスクリーンの前に座った方はごめんなさい、きっと『面白くない』と思われるでしょう。

突如地球に舞い降りた12の『物体』が世界の主要な場所に陣取っていく様はなるほど『インデペンデンス・デイ』を彷彿とさせますね。

2017年の混沌とした世界なら、物体が現れた時点で即全面攻撃となっていたのかも知れませんな。

しかし、この物語では非常事態宣言は各地で出されますが、まずはきちんと『意思疎通』を図ろうとするのです。

黒塗りの種子然とした巨大飛行物体は地球のものであるのか?

そうでないなら、相手は誰なのか?

どういう目的を持っているのか?

どうやってこちらにやって来たのか?

劇中のあるシーンで印象的な言葉がありました。

「これはアボリジニと同じだ」

アボリジニと、固有名詞を出していますが、これは取りも直さず大航海時代(それ以前からも当然有りましたが)より欧州がアフリカ、アジア、アメリカ大陸に対して行った植民地政策の事を引き合いに出しています。

まぁ、人類の技術で察知できない方法で世界に同時に出現した『物体』とそれを動かしている『生命体』は、その存在を持って我々より数段優れた文明を持っていることは明らかです。

よって話を戻すと、『誰で』『どうして』『何のために』やって来たのかという事を正確に把握しなければなりません。

人間同士ですら『来られた側には無い技術』を提供する代償として『多大な利益』を引き出そうと画策してきた訳ですからね。

未知なる相手を前に『悪意の解釈』を持って対峙する訳です。

物語はこの未知なる存在とどのように『意思疎通』をしていくのか?

そして、ある重要なキーワードをどう『解釈』するのか?

その『解釈』を世界はどのように『共有』していくのか?

を巡って主軸が展開していきます。

その未知なる存在との交流、そこで交わされる『言葉』、彼らを巡る人間たちの『解釈』の違いを通して主人公の言語学者は『自分自身』についてある気付きを得ます。
彼らが残したメッセージというより、彼らによって気がついた○○。

だから原題は『Arrival』なんだ。と落ちるわけですね。。。。
(Arrivalを辞書で引くか、google先生に聞いてみてください)

世界には7,000以上の言語があると言われていて
(この辺は専門家ではないので、断定はしません。
引用 http://www.ethnologue.com/ (SIL International))
表記されるだけである言葉について7,000前後の『訳語』が存在するということになります。しかし『訳語』はあくまで『訳語』であって、それがニュアンスまで完全に一致しているかは不明瞭です。そもそも『そうした言葉がない』ということもありえます。

人は思考を表現するツールとして『言葉』を用いているのであって、そうした意味では『言葉』というものも実に曖昧だということになります。

曖昧な思考→例えば「あなたが好き」というのは言葉での表記ですが、込められた感情の強弱、表裏、度合いまでは完全に表せません。せいぜい絵文字を用いたり、文字の大きさを変えたりと、装飾することでなんとかニュアンスを「表現」できるくらいです。

言葉 /言語 の曖昧さ。
伊藤計劃の虐殺器官ではないですが、これがこの物語の根底です。
それでも解り合いたいから意思疎通をする。
それでも100%のコミュニケーションなんてない。
この「言葉」というツールの恐ろしさと素晴らしさ。

未知の存在、そして巡る言葉の解釈で、国同士が、組織が、個人が激しく揺れ動きます。

で、結局世界はどうなんの?

ここまで散々『言葉』と書いてきてなんですが、『時間』というのもこの作品の重要なファクターです。
この作品の壮大なトリックとは、
原作『あなたの人生の物語』ってタイトルに集約されていきます。
作者の関心や原作からすると、言葉そのもの、時間の概念の方がウェイトが高い印象。
この『時間』って概念。これもこの作品にやられたぁと思わせる深いキーワードです。
あぁ、これ以上書けない。

『よく良く解らない誰か』とどう向き合うのか?
『よく解らない自分』とどう向き合うのか?
そこに付け加えられるのが『母性』だということになると・・・
昔流行った「セカイ系」にも似た所にも通じた所にも行ってしまうやんけ・・・
ま、原作が発表されたのが1998年だからなぁ、とその時期の『言葉』に浸っているワタクシなんかはそういった『解釈』に毒されてしまっていますがΣ(´∀`;)

サイエンス・フィクションというより、スペキュレイティブ・フィクションとしてのSF作品。
言葉ひとつで個人も世間も国家さえも変えられてしまう現代。
この時代、この世界情勢だからこそ、観た時に考えさせられるものが多い。
未知の存在とは、膨らみすぎたゆえに見えなくなっている世界そのもののように感じられる。
非常に有意義な映画体験でした。
文月としては、是非とも『Arrival』して欲しい一本です。


2017年映画鑑賞 41本目

◆Overview◆


・原題:Arrival 2016年公開
・上映時間:116分
・監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ   
代表作:『ボーダーライン』(2015年)
    『プリズナーズ』(2013年)
          『複製された男』(2013年)
    『ブレードランナー2049』(2017年)
・脚本:エリック・ハイセラー

<メイン・キャスト>
エイミー・アダムス
ジェレミー・レナー
フォレスト・ウィテカー
マイケル・スタールバーグ


マーク・オブライエン

2017/03/19

【映画 感想】アメリカン・レポーター  ー何かを得るために、すっ飛んでいった何か(W.T.F!!!)―

[映画感想]


アメリカン・レポーター 鑑賞

(原題:Whiskey Tango Foxtrot )
2016年公開

オススメ:★★★★☆

ルポライター時代にアフガニスタン紛争に従軍記者として現地入りしたキム・バーカー女史の回想録を原作とした映画です。
原題はお下品ですが、こういうの好き。

普段何気なく目にしているもの。
目に映る物を僕たちはどれだけ意識してい見ているのか。
いやぁ、見ているようで、見ていないということが多いもの。
例えば家を出て、職場に行くまでを思い浮かべてみる。
いろいろな事情を抱えて、いろいろな表情を浮かべて通りを歩く人、自動車、バス、駅、電車・・・
テレビで、スマホで見る動画、ニュース。
僕たちは誰もが見られていて、同時に見ているのだけれど、互いにどういう立場で「そこ」にいるのかはあまり意識していませんよね。

この物語はニュースメディアで「見ている側」(もう少し正確に言うと裏方)だった主人公が、「見られる側」に飛び込んでいく話です。
それも若くて花形の人気女子アナやタレントが帯番組でお茶の間に登場するといった類の「見られ方」ではなく、従軍記者として戦場でレポートをしていく「見られ方」です。

あぁ、あの人いいなぁ、羨ましいなぁと思いながらも、結局は同じままで、
その繰り返しで毎日が過ぎてしまう。
エンジョイしているようで、何かが足りない気がしてしまう。

もやもやしていた主人公のキムが選択したのは、よくネットの「まとめサイト」でも見られる『思い切って環境を変えましょう』というものだったけど、

何故に、戦場!!!

と。

このブログでも何度か仕事に関する話題を書きましたが(カンパニーメンなど)
システムに組み込まれた僕たちは「何かを得るには、何かを犠牲にする」ことがどうしても必要になってきます。

名誉も、対価も、その人が何かを犠牲にして(犠牲という言葉が刺激が強いけども)得ている。それで得られたものとを天秤にかけてしまうのが性というもの。

もちろん、これは映画だから「描かれていないもっと辛い部分」が彼女の背中にはたくさん溢れているんだろうけど、

ポジティブで、タフで、自分を解放した、アメリカのというより、女性の一種の強さが物語をとても明るい雰囲気にしているのです。
映画のジャンルはコメディとなっているようですが、内容はコメディじゃないんじゃないかな。。。

世の中には不要な仕事がないという言葉があるように、従軍記者だって世界を知るためには絶対に必要な仕事です。
だけど世界には問題が多すぎるから、メディアが「提供すべき情報を取捨選択している」という、ブラックな面もこの映画を通して改めて知ることができました。
メディアだって、慈善事業じゃないから、話題性を優先するのは解るんだけど・・・
メディアが世論を形成できるんだから、メディアが情報を埋もれさせるのはどうなのかなぁと。。。
※映画やドラマで描かれているブラックな話題って、カットもされずに放映されている以上は「事実」としてそうしたことがあるからだろうと僕は解釈しています。描かれていないことのほうがもっと多いだろうけど。

ともあれ、彼女と一緒に悩み、驚き、笑って、怒ることができる約2時間の旅はとてもファニーで、元気がもらえる作品でした。

原作者:キム・バーカーさんの公式サイト(英語)
http://www.kim-barker.com/#wtftrailer

ご本人と主演のティナ・フェイがすごく似ていると感じたのは僕だけだろうか。

2017年映画鑑賞 61本目

2017/03/11

【映画 感想】13時間 ベンガジの秘密の兵士  ―ランボーなんかいない。厄介者達が守りきった、2012年のアラモライン―

[映画感想]


13時間 ベンガジの秘密の兵士 鑑賞

原題: 13 Hours: The Secret Soldiers of Benghazi
2016年公開

オススメ:★★★★★

※サブタイトルがなんだかファンタジー調に見えますが、ゴリゴリのシリアスドラマです。

―経緯、原因、背後関係、過去の負の遺産。
何万語を費やしても、そして費やさなくとも、「シンボル」となってしまうものがある。

9.11。(そして日本なら3.11)

こんなにも短い数字が物語るのは僕達なんかが軽々しく書くこともできないものなんだと個人的には思う。
ネガティブでも、ポジティブにでも「シンボル」はどうしようもないくらい「シンボル」なのだ。
2012/9/11。その日にリビアで起こった事件を描いたこの映画は9.11という数字が、アメリカにとって、世界にとってどのようなものなのかということを再認識させるものだ。

いつだって本当は必要であるはずの人が、邪険に扱われることはある。
インテリジェンスの最高峰だと自負しているCIA(の神話は崩れてしまったけど)の情報局員たちは名門大学を出て、成功を約束された、あるいは世界を変えているのは自分たちとと信じてそれぞれの「準軍事作戦」やら「諜報工作」に従事してる。

彼らにも彼らの言い分はあることは認めるけど、「使う側」の人たちなのだ。
だから自分たちの仕事を邪魔する連中は厄介者だと感じてしまう。
彼らの任務は「危険地域」で行われているという事実と任務を全うするには「安全」であることが大前提だということを忘れて。

この物語の主要人物たちは元軍人でプロフェッショナルではあるけども、「使われる側」の民間軍事会社の職員だ。
使っているCIAからすれば「部外者」だし「金食い虫」だし「ごちゃごちゃ言わずに静かにしていろ」って存在。

あくまで外注さん。こう言えば、サラリーマンとしてはしっくり来るのかも。
一緒に仕事をするけど、身内ではない・・・そんな感覚。
それってちょっと切ないと個人的には思うのだけど。

しかし、そんな使う側の彼らも、結局はピラミットの頂点にはいない。
それが緊急事態の際に露見する。
自分たちこそ、他国に居座る部外者(=厄介者)だということが・・・
「誰も助けに来ない」という事実とともに。

圧倒的な怒り、暴力の前では、生まれも、育ちも、容姿も、性別も、学歴も、年収も、キャリアも、将来性も、全く無意味だ。

そうした時に顔色ひとつ使えずに、「自分たちが助けに行く」「自分たちが守る」と淡々と装備を手に取る男たち。それが「部外者」で「金食い虫」で「ごちゃごちゃ言わずに静かにしていろ」と言われていた厄介者たちだった。

漢。

本筋で言えば、民間軍事会社の職員である彼らは「元軍人」ではあるが、契約外(映画を見ればイレギュラーの付随業務として一時的に命じられる事情もあるのだけど)の異常事態に対してここまで危険を犯す必要はないように思える。

それでも仲間の、同国人の(対象がVIPであることも、この際脇において)、危機を見捨てない。10人にも満たないチームでも、「自分たちができるとこ」を遂行する。

上から目線で見下すようにしていた彼らの背中に、戦う姿に、「使う側」の人間たちが何を感じたのか。

そして、ランボーなんかいない現実の戦闘では、失われるものが多すぎる。。。。
同じ実話をベースにしたものでも、
ブラックホーク・ダウン(2001年)の様に、大勢の仲間がいるわけでもない。
※モガディシュの戦闘を参照
ローン・サバイバー(2013年)の様にQRF(即応部隊)がやって来る希望もない。
※レッド・ウィング作戦を参照

いつまで、どこまで戦えば良いのか?を胸に秘めながら目の前の事態に向き合う彼らの悲壮感が怒号と銃声、爆音のなかに浮かんでは消えていく。
勝者などいない、戦場で。

あぁ、マイケル・ベイ監督=トランスフォーマーと思ってしまいがちだけど、もちろんもちろん、それだけじゃない事がよく分かる。
ワタクシは「ザ・ロック」の頃から大好きです♫

2017年映画鑑賞 56本目

2017/03/07

【映画 感想】シング・ストリート 未来へのうた -他の誰でもない、「君」に 届けたい、切なすぎる心―

[映画感想]





シング・ストリート 未来へのうた 鑑賞

(原題:Sing Street)
2016年公開

オススメ:★★★★★!!!!!!!!!!!!!!!!!!

世間は「ラ・ラ・ランド」に盛り上がっていますが、地味に違う音楽映画の感想です(笑)

―僕たちはどうあっても進んでいく。
どうあってもベクトルは固定されていて、戻ることはできない。
それが当然、当たり前、そんなの普通じゃん。
もしかしたら、そう思うことすらしないで生きている。というより、
意識していたらやっていられないのかも。

だから、だからこそ、存在する。
誰もが経験するかけがえのないものとして、僕達の中に、刻まれていくもの。

「あの頃」

そう、あの頃。
ただわざわざ言うまでもなく、あの頃の連続体が今だ。
それでも、手繰り寄せる紐の長さが長いほど、価値は上がっていってしまうもの。。。。

あなたは今をどう感じていますか?

そして「あの頃」をどう感じていますか?


この映画が連れて行ってくれるのは、彼らの世界であると同時に、僕達大人の誰もが持っている「あの頃」なのです。(ま、予告編に書かれてしまっていますが・・・)


尊敬する作家の神林長平氏なんかは(というより、SFファンからすれば「文月、お前に言われることもないよ」とのツッコミを承知です)「僕達が目にする現実」とは「主観」「認識」というフィルターに覆われているから、見えているものは「リアル」ではない。
というようなことを書かれています。


そのとおり。僕達が描く今も、過去も、未来も、主観というフィルターを通して映っていて描く時の気持ちによって全く色が変わってしまうことも確かです。

だけど、それぞれのココロが通ってきた「物語」は間違いなくその人の、その人達のものであるし、他の誰にもその価値を下すことはできないのではないかな。

そう、そして僕達のようないい年齢になってしまった人にとってはいくらか抗議したくもなるけれど、今を生きる若い子(羨ましい)にとっては80年代、90年代とはもはや「ノスタルジック」さを感じる別世界になっているんだと思う。


一部の例外を除けば・・・あの頃は、何もなくて、だけどたくさん持っていた。
手をあげれば、仲間が増えて、勢いだけでも進んでいられた。
歌は今よりも遠いのに、ずっと近くにあった。
今でも同じだけど、あの頃の僕たちも「だって、歌いたいから、歌うんだ」という気持ちは強かった。


エネルギーをどんなところへも注げる特権―

つまづいても、転んでも、すぐに起き上がれる生命力―

希望を希望と素直に呼べるココロ―

全てのマイナスを、変えていける混じり気のない情熱―

例え貧しくても、苦しくても、悩んでいても、それでも夢は見られる―

夢は誰のものでもない―

それが10代という、この世で最も幸せな時代。



打算もなにもなくつるんでいた友達との、嫌な大人との、煩わしい両親との、気がついたら隣りにいる兄弟、姉妹との、そして、全てを投げ打っても想いを届けたいと「あの人」との・・・・

全ての関係がギュッと詰まった、本当に明るくて、切なくて、暖かい世界。

彼らの「あの頃」と僕達の「あの頃」が繋がった時に、胸の奥からまるで火山みたいにココロが解き放たれる・・・・
それも、とびっきり直接的で情熱的で不器用な、最高の歌とともに。
だから、こんなにも切なくなるのだろうと思う。


現在は物質的にも経済的にも文化的にも、少なくとも当時よりは恵まれている反面、何かと境界線が曖昧で、不安定に思える。

目の前の出来事がたとえ理不尽でも、グッとこらえて作り笑顔をしてしまう。
目先のことすら不確かなのに、自己顕示欲の現れ方が、あの頃と変わってしまっている。

情熱は持っているけど、ハチャメチャなベクトルではなくて、生活のためだとか、理想のためだとか、利益のためだとか、義務だとか、権利だとか・・・・
システムに組み込まれてしまった僕達はその枠の中でどうにかこうにかしてしまっているのではないだろうか。。。。。

ワタクシだってそうです。サラリーマンだし、社会の、組織の一員だし、税金払うし、生活費は持っていかれるし、背負ってしまったものを簡単には下ろせなくなってしまっている。
だけど、背負っているものは必要なものばかりなのだ。

それが肩に乗っているから、ということを言い訳にしてしまう事は決して悪いことではないのに、この物語の彼らの純粋さ、ひたむきさ、素直なエネルギーの発露を目の当たりにしてしまうと、どうして気恥ずかしさを感じてしまうのだろう・・・・・

それなのに、

突き進んで良いと、応援したくなる。

どの子も恵まれているとは言えない。
むしろ恵まれていない事が普通だ。

その中で、できる事で、やれる事で、自分を表現すれば良い。
なぜなら君らにはそれができるんだから!


おそらく多くの人が、あの頃とは別の道を歩いているのかもしれない。
それで成功している人も、満足できない人も、その途中の人も、多いのだと思う。

ある映画でも言っていたが「残念ながら、誰もが大統領になれるわけではない」


この映画をきっかけに、何か新しいことを始めようだとか、今からハチャメチャをしなさいだとか、そういうことではないのだろうな。

僕たちは最高に輝いているコインをいくつも手のひらに持っていて、それを時の巡りの度に手渡しながら過ごしているのかも知れない。
コインの輝きは決して消えることがないのだ。

そういう訳で「あの頃」は光り輝いているんだと思う。


映画の主人公は、単に憧れの娘の前で格好つけようとしただけだった。
それでも、物語は動き出す。
それでも、世界は変わっていく。
それでも、思いは熱く燃え上がる。
自分の力ではまだどうしようもない世代。
それでも、その時だからできることを、感じることを、表現できることは、将来どのようになったとしても糧になる。
それでいいんだ。それでいいんだ。

いい歳になってしまった現在だからこそ、彼らが劇中でハチャメチャすることを理解できるし、口では小うるさく言うかもしれないが、自分自身を重ねてしまうのだ。

どんなにお堅い人でも、真面目な人でも、「あの頃」は最大公約数としてみんな「同じ」じゃないか?

彼らが突き進む姿を観ながら、大切な忘れ物を拾いに行ってみるのもいいのではないだろうか?

まぶたの裏に映し出される、僕達の物語。
彼らの純粋過ぎる音楽に、その物語を浮かべて観てもらいたいと切に思うのでした。
夢を追いかけている青年だけではなく、大人が観るべき物語。

この映画に出会えて良かった。
似た感じの作品だとジャック・ブラックのスクール・オブ・ロックも大好きだけど、この映画は直接すぎて何倍もグッとくるのです。。。。

忘れてはならないもう一人の主人公がこの物語のスパイスになっています。
劇中大切な役割を担ったある人。
そのある人の姿に僕は最後の最後でやられました
この映画のラストテロップを観て、あ、この思いは正解だったと(笑)
・・・・あぁ、いい話。


2017年映画鑑賞 51本目







2017/02/21

【映画 感想】素敵な相棒 ~フランクじいさんとロボットヘルパー~  ―相棒も、いつかはこのカタチになったりして―

[映画感想] 素敵な相棒~フランクじいさんとロボットヘルパー~
(原題: Robot & Frank)
2013年公開

オススメ:★★★★★

 ―元泥棒の老人フランクの元にやってきたのは、万能ヘルパーロボットだった。
メモリとメモリー。
同じようで、違うこのふたつ。
この物語のキーワードはこの「似て非なるふたつの領域」だろうと思います。

AIも人間もメモリに記憶メモリーを持っていて、その記憶の積み重ねがそれぞれの軌跡だ。
自分というものを構成しているのはこの記憶の中にある、という原則を踏まえることがこの映画を楽しむためのひとつの要素になってきます。
もうひとつは、機械的に物事を片付けようとしてしまう人間と、きめ細かくプログラムされたAIの機械らしからぬ態度。

この対比が物語の中にごく自然に配置されているのだなと感じました。

ロボットが一般市民の生活に溶け込んでいくだろう未来。
需要があるのは間違いなくヘルパーとしての機能だし、子供、お年寄りのお世話という分野には特に期待されると思います。

大変なことを、ロボットに「押し付ける」のか、人間と「共生して」いくのか。
似て非なるふたつの領域の問い。ストーリーとともに何度も僕達に問いかけてきます。

機械的にロボットに世話を押し付けられたと感じたフランク。
そのフランクがロボット(そういえばフランクは彼に名前を付けていない)に、心を通わせていく過程には、「そうあれかし」と期待された機能を有するロボットに「自分と同じ孤独」を感じたからなのではないだろうか。。。

このAIロボットちゃん。本当に頭が良い。
当然だけどワタクシのiPhoneのSiriなんか遠く及びません(笑)

自分に与えられた役割をメモリいっぱいにメモリーしながら、フランクの良き理解者になっていくまでのやりとり、会話にいちいち応援したくなっていく。
そして、「なんだこの嫌味なジーさん」的な印象を持つであろうフランクとのコンビネーションが出来上がっていくにつれて、ふたりが
「異なるふたつの生命」を持つ同士であることなんてどうでも良くなっていきました。

楽しい旅も終わりに近づき、「その時」がやって来た時、ロボットくんが選んだ選択・・・・

その言葉、その仕草、その思い。

彼のメモリがメモリーによって、プログラムを超えた本当のエモーションとは何であるのかを、僕達に教えてくれるのだ。
あぁ、その時に自然に頬を涙が伝っていました。

90分という上映時間でテンポよく感動できる名作。
オススメです。

【映画 感想】ヴィンセントが教えてくれたこと  ―大人になると、気が付かないうちに色眼鏡を掛けている―

[映画感想] ヴィンセントが教えてくれたこと 予告編



ヴィンセントが教えてくれたこと 鑑賞

(原題: St. Vincent)
2014年公開

オススメ:★★★★★ どうも、最近映画を見ちゃぁ、涙している文月です。

作品がいいのか、自分のボーダーラインが緩くなったのかは謎ですΣ(´∀`;)

この映画は、ハートフル・コメディなのか、ヒューマンドラマなのか。
ワタクシはミステリーだと思い返しました。(あ、明るいミステリーという矛盾した表現になりますが)

一見、ハチャメチャで非常識で、どーしよーもない様に思えることでも、
実は俯瞰して見ると法則や意味がきちんと見えてくる。
ア・リトル・カオス理論的な、的な、的な!

世代、国籍、思想、立場なんかを超えた相棒モノってジャンルを問わず多いけど、
・・・これについてはビル・マーレイがいないと成立しない。

この話の醍醐味って、誰かを本当に理解することの大変さや素晴らしさを「主人公」と一緒に紐解いていく過程に含まれているんだと思います。

ヴィンセントという不良ジジイは、本当に不良なのか?ろくでなしなのか?
それって深く関わりもしないで傍から見ているだけなのではないか?
ワタクシ達の日常にも置き換えられる「視点」や「ものの見方、判断の仕方」について訴えかけてきます。
ヴィンセントについて、様々な人が、様々な言葉であれこれ言い立てます。
でも実際に触れて、話して、関係していくと、彼に対する言葉ってどれほどの精度があるのだろうか?という違和感を感じていく。「紐解く」と書いたのは主人公の彼が、彼だから抱ける視点で、その不良ジジイと真正面から向き合っていくから解ってくることだからです。
それが何であるのか?を大人たちが忘れている「ある心」を解放して、見てみたら良いのだと思います。
こういう青春作品を見るたびに、自分ってどれだけ固くなっているのか?「ある心」を忘れているのか、に打ちのめされてしまうのでした。

僕の場合、それが涙できた理由なのではないかと考えているわけです。
物語には、やはりドキドキ/ワクワクと言った、エモーショナルな要素って必要不可欠で、それが見る側と創る側双方のモチベーションに繋がっていくんだと思い直しました。
あぁ、泣けるって最高ですね♫

たぶん、日本版でリメイクされるならジジイは北野武氏しか思い浮かばない文月でした。

【映画 感想】MAX/マックス  ―彼らとの絆の方がかえって強いこともある―

[映画感想]



MAX/マックス 鑑賞
(原題: MAX)
2015年公開

オススメ:★★★★★
人間の最も古いパートナーは?えぇ、わんちゃんです。

どうも、犬猫大好き文月です。
この映画、結構レビューが上がっているので、内容もネタバレもワタクシからはほとんど致しません。
もしも観たことがない人は、できれば下のプレビューも観ないで(笑)先入観なく、鑑賞ください。

物語の構成だとか、展開だとか、そういうことは脇において、
ワタクシが感じたのは「喪失」と「絆」についてです。
―「喪失」とは「絆」の深さに比例する。
哀しさとは、その人にとってどれだけ相手が、モノが、大切であるかを物語る。
翻すと、それが愛情だったり、思い入れだったりする。
大切であるから、手放せないし、結ばれる。
それには人間も動物も関係ない。
忠実で、愛らしくて、感じやすくて、勇敢なるパートナー。
マックスは優秀な軍用犬でした。
これも現実。わんちゃんは社会的にもいろいろ貢献している動物ですよね。
警察犬、盲導犬、猟犬、軍用犬、牧羊犬、愛玩犬。
軍用犬がいけないとかそういうことを言う前に、僕達が動物たちにどれだけ助けられているのかを知るべきなんじゃないかなぁと。でも動物を正当に扱っているか?は、もはや政治の領域になっていて、そこにもどかしさを感じたのはワタクシの率直な感想でした。でも、とても偉いんです。勇敢です。そして愛されている。
多くの軍用犬がそうであるように、マックスも愛と勇気を知っている、本当に素敵な大切な仲間です。
白状すると、ワタクシ個人のいろいろな状況も影響してか(汗)、鑑賞12分目から泣きはらしました。

この物語には、あるゲームじゃないですが、おそらく「喪失」しているものがたくさんあります。
きっと見えてくると思います。
それって、映画だから「喪失」しているんじゃなくて、私達もいつの間にか当たり前のようにしている何かじゃないのか?
きっとワタクシにとってはそれがトリガーだったんじゃないかと思うのです。
でも本当の喪失っていうものはなかなか無くて、取り戻せることも多い。
喪失、再生。そのループの中でわたしたちは生きている。
だからこそ、ほんとうの意味で失っていないものに絶望する必要はないんだと思う。(その時は難しいし、キレイ事に聞こえるのは承知ですが・・・、というより今のワタクシに言っているのかも(笑))

でも、テンポはとてもいいですよ。
どのシーンも、必要だし、なにより応援したくなる、元気が出る映画です。
よく晴れた休みの午前中に観て、すっきりとした気持ちでランチに行ける。そんな話。

それにしても、ボーイ・ミーツ・ガール。
いいなぁ。青春だなぁ。
すべての前提条件を取っ払ってこの物語の世界に、相応しい年齢で出演できるのであれば、きっとヒロインに玉砕覚悟で猛アタックしただろう。波状攻撃だ!!!
文月は、ああいうのに弱い。ホント弱い。実に弱い。つくづく弱い。あぁ、駄目だ(笑)

2016年映画鑑賞 134本目

【映画 感想】ロッキー・ザ・ファイナル/クリード・チャンプを継ぐ男  ―いつまで経っても、オトコは夢を見てしまうもの―

[映画感想]
ロッキー・ザ・ファイナル 公式HP
クリード チャンプを継ぐ男 公式HP



オススメ:★★★★★!!!!

男も女もない。人はいつも進んでは戻っている。

あとに振り返って笑えること、泣けること、腹の立つこと、思い出したくもないこと、その軌跡が人生だ。

ピーク、という言葉がある。
「ようやくピークを迎えた」とも「もうピークを過ぎた」とも使うこの言葉。
言葉を素敵だと思うのは、このようにどちらにも取れる中間の言葉と出会った時だ。
ある人が書いている。自分が使う言葉が、自分の現実を作る。だから言葉は大切に使いなさい。
恐ろしいことに、おそらくある意味で核心を突いているんだと僕は思う。

ピーク。頂点。

登り手には目標となり、下り手には悲しくも寂しい欠片になることもある。

ここに、ひとりの男がいる。
誰もが知っている「人生の逆転劇」を演じて、アメリカン・ドリームを手に入れた男。
ヒーロー。フィラデルフィアの英雄。
栄光を手に入れるため、何度も挫折し、しかし立ち上がり、すべてを手にして、すべてを失いつつある男。
ロッキー・バルボア。

ロッキー・ザ・ファイナルから、クリード・チャンプを継ぐ男。この2部作は物語の可能性は無限だと教えてくれている。
物語は、終わらないのだ。
人生は、ひとりの人生は、その人だけのものではない。
地位や名誉、立場、業績、そんなものを飛び越えて、誰かの人生は、自分の人生の鏡だ。
その人の、その人だからできる、その人の物語だ。僕たちは何気なく物語に囲まれて生きているんだ。
けっして比べてはいけないけど、誰かの物語は、自分の物語の光ともなって、陰ともなる。
言葉は人を活かしもするし、その逆にもする。

妻を亡くし、フォラデルフィアでレストランを開いたチャンプ。
毎日のように妻の墓の前で愛する人を悼み、レストランでは過去の栄光の灯火を輝かせている。
老いる。だれもが避けられない、大いなる力。
ロッキーも例外じゃない。つまり、僕達にも例外じゃない。
時は、美しく、残酷なんだ。

もう一度、もう一度。自分の状態なんて、自分が知っている。
馬鹿だと言われようが、嘲笑われようが、どうしても捨てられない「あの想い」
生命を燃やすという、崇高な挑戦。
それは、本人しか選択できない、本人だけが選ぶことができる「権利」だ。
終わりなんてない。世代差なんて関係ない。
自分の信じる、自分が自分である道。それを掴むためには、がむしゃらになるしかない。

ロッキーは言う。
「お前はどこかで、変わっちまった。お前じゃなくなった。人に面と向かってバカにされても平気に成り下がった」
「人生はどんなパンチよりも重くお前をぶちのめす」
「世の中はいつもバラ色じゃない。それなりに厳しく、辛いことも待ってる。気を抜いたら、どん底まで落ち込んで二度と這い上がれなくなる。それが人生だ」
「だが、どんなにきついパンチだろうと、どれだけこっぴどくぶちのめされようと、休まず前に進み続けろ。ひたすら苦痛に耐え、前に進むんだ。その先に勝利がある。」
「自分の価値を信じるなら、迷わず前に進め。パンチを恐れるな。人を指さし、自分の弱さをソイツらのせいにするな。そりゃ卑怯者のやることだ。お前は卑怯者なんかじゃないんだ」

これが、男。不器用過ぎる男、そして父の生き様じゃないのか。

また、ロッキーは言う
「鏡に向かって構えてみろ。そいつが睨みつけているのが見えるか?最強の敵だ。お前がリングに上がるたびに、そいつが立ちはだかる。それがボクシングでも人生でもおんなじだ。お前が打つたびに、こいつはどうしてる?それをブロックするか、脇によって躱すかだ」

自分の息子、そして、親友の息子。ロッキーの遺伝子は、SENSEとなり、MEMEとなって受け継がれる。
だから誰かの心に生き続ける限りにおいて、その人は死なない。

カウントが鳴り続けている間には、まだやり直せる。立ち上がれる。ロッキーは勝利者ではない。
不屈の男だ。

今年は、本当の意味でロッキーという物語から、人生を教わった。
今のタイミングというのが、幸か不幸かはずっと後で振り返った時にしかわからない。
だけど、それでいい。

もしも、何かに迷うことがあって、怖くて、不安にかられている人がいたとしたら、
僕は「僕もあなたと同じ」だと答える。
そして、良かったら、この映画を見て欲しいと言う。
深くは聞かない。野暮は言わない。ロッキーが見せてくれるから。

2016年映画鑑賞 132本目

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